ストアについての話もしてみよう。ストアは,キティウムのゼノンが始めた哲学伝統で,私の見るところ,プラトン的ソクラテスの姿勢に最も忠実な思考をしている。これは論争的な主張なのだけど,少し誇張して言われているぐらいに読んでもらえればいい。つまり,今は重要ではない。
ストアはお説教くさいことを言うという誤解をずっともっていた。実際,そういう内容の書物が残されていて,特にそうした面を強調するような引用がなされる。けれども,少しずつ理解していくと,ストアはけっして道徳主義者ではない,ということがわかるようになる。
ストアたちは「善くあろうとしているが,けっして善くない者」であることを自覚している。この自分の願望と自分の現実の乖離への悩みをたとえばマルクスは『自省録』に書き残した。
ストアがどのような哲学かを理解する大切な鍵と私が思うものがもう一つあって,それは「自然に従って生きよう」という主張です。この主張は有名なので,あまり気に留めて考えられることがないようですが,少し考えるとおかしな主張です。
というのは,一方で「善くあること」は「思慮に基づいた自分自身の選択による行為」によって初めて可能であるとも言われるからです。
ところで「自然」と言う言葉を慎重に使っているとすれば,それは「神」ではない。「自然」だ。だとすれば,自然には思慮も選択もない。そんな自然/物理にしたがって,どうして思慮ある生き方ができるというのか,謎だ。
ところが,この二つがつながるというのがストアの確信なのです。
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