人生は短い。短いかどうかは人によるので一概に言えないような気もするが,きっとすべての人にとって短い。(そしておそらく長い。)いずれにせよ人生は短いので,ぼさぼさしていると何もしないうちに終わってしまう。かといって,何かをしなければならないわけでもなかろう。
セネカは自分を偉そうに見せるのが好きな男なので,人生の短さについて書いたとき,有意義な生を送るべきだというようなありきたりの人生訓を書き添えてお茶を濁し,本題からそれてしまったはずだが,私はそんなことは言わない。
人間はどうせ死ぬ。生まれて死ぬ。だから生きていることが素晴らしい。生きていることだけで素晴らしいのだ。

だから生きていことを満喫してい生きるのがいいのだ。どうしたら生きることを満喫できるのか。こう問うときに,「吟味していない生は生きるに値しない」というソクラテスの立場に行きあたる。セネカならばそれを有徳な生と呼ぶだろう。同じことだ。彼も私と同じストアなので,結論は同じだ。
どうせいずれ死ぬのだから,今を生きることを満喫するのがよい,という立場は,いわゆる享楽主義に必ずしも行きつかない。肉体的な享楽は瞬間的なもので,すぐに消え去るので,それだけでは今を満喫することは難しい。
精神的な享楽も必要なのだ。肉体的な享楽だけではなく。
闘って相手を倒して正義の雄たけびを上げて勇ましく凱旋するのも享楽かもしれないが,それは肉体的な享楽に過ぎないのではないか。
その陰で死んでいく民がいる。とすれば,正義の勇士たちは自らの勝利を,敗者を惨殺にした行為を麗しいものに書き上げるよう詩人に懇願するだろう。自らの人生の虚しさがどこかでそうするように迫ってくるのだろう。
世界中を享楽で埋め尽くそう。肉体的な享楽だけではなく,精神的な享楽でも埋め尽くそう。勝利の雄たけびではなくて,甘美なため息で埋め尽くそう。人はどうせ死ぬ。
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