Decency

トランプが私の知るところとなったのは,共和党大統領候補になった後だ。New York Timesに彼についての記事が多くなり,目に留まるようになった。彼についての私の印象は「恥知らず」だ。彼の在職中の4年間はdecencyがないがしろにされ続けた期間だった。

それでそれしか売り物のない人物が次の大統領になった。それでもdecencyは回復されない。decencyを売り物にするということに含まれる自己撞着の故なので,仕方ない。

Fox Newsはトランプの流れに乗って視聴率を伸ばし,CNNはトランプたたきで視聴率を伸ばそうとした。どちらも極端に走りすぎた。decencyを無視した。そしてタッカー・カールソンもドン・レモンもくびを切られた。

MSNBCは生き残り,トランプたたきを続けている。レイチェル・マドーは稀有な人で今のところそのシニカルなコメントにdecencyの踏み外しはない。ところが,同局の他のアンカー陣,特にAli MelberとChris Hayes,そしてLawrence O’Donnellはいけ好かない。自分は潔白で,正義の味方だとでも思っているかのように,トランプたちを馬鹿にする。

decencyには謙遜ということが含まれる。謙虚さのない姿勢,正義の味方はdecentではありえない。

私はdecentでありたい。自分が潔白などとは言わない。間違いや悪いこともたくんさん犯している。でも,decentでありたい。そして自由でありたい。


政治家や官僚や企業経営者や資産家や作家やスポーツ選手や警官や検察官や裁判官や教員やらの多くが,職業において職業倫理に反することをどうどうとし続けている。

個人生活で何をしようととやかく言うつもりは私はないのだが,世間様は職業上の倫理違反行為には目をつぶりながら,その人たちの個人生活の疵にはこれでもかとたたき続けて炎上させて,仕事をできなくさせている。

モラルハザードが止まらない。たたかれる方もたたく方も共にやっていることがおかしいと思う。

その結果「公共」がなくなっている。

decencyとは公共の存在を前提にしているのだが,それがなくなっている。どうやったらdecentでいられるのだろう。

私はdecentであるために,公共と折り合いをつけつつ,自由であろうしてきたが,もはや公共がないので,少しやり方を変えなければならない。まだそのやり方はわからない。



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