世界がもっと素敵だったらいいのになぁ、と思う。今の世界がひどくて我慢がならない、と思っているからではない。世界は素晴らしい。だけど、もっと世界は素敵になれるのにと思う。
悲しみはそこここにあふれている。私の前にも後ろにも、外にも内にも。私が悲しみを知らないということではない。たしかに「C調」な人間だが、そこまで能天気ではない。
どうしたら世界をもっと素敵にできるか、そのtacticsは知っている。その場で、いま目の前にある不都合を1つずつよくしていくことだ。「革命」はいらない。
「革命」がどれだけ大きな不幸をもたらしたのか、歴史を振り返れば誰にでもわかる。私はIdealistを信用しない。
目の前にある不都合を取り除いていくには、強靭な精神が必要だ。なんだかすごい言葉遣いだ。私の語彙は乏しい。
強靭な精神を持たないものは「理念」に自身を託してしまいがちだ。「主義」をもって「・・主義の闘志」になる。そして「許さないぞ、私は正義の味方だ。悪は許さない。退治するぞ。」と桃太郎よろしく鬼退治に行く。鬼は鬼ヶ島で自分たちで平和に暮らしているのに。鬼の財産がどこから奪ってきたものだなどという証拠もなしに、暴力でとっちめて、鬼たちの財産を誇らしげに奪って、泥棒のくせに、偉そうに凱旋する。
桃太郎ほど醜い主人公が登場する物語はないと思う。きび団子は好きだが。
強靭な精神をもつには「理念」を信じるのではなく、自分の目の前にある幸せを慈しむことだと思う。愛する人(たち)が共にいてくれる。それでいい。なんと私は幸せなのだろう。そう自分の幸福を、世界のすばらしさを実感することが、世界をもっと素敵なものにしていく支えになると思う。
I’m too naive to live as a human in the world.
読んでくれてありがとう。Yoshiki
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